雑学と話題

2016.07.25

香港の新聞社を比較!東方日報と蘋果日報(1/4)

香港には日本と同様、いくつかの新聞社が存在します。新聞社によってそれぞれ思想が違っているため、同じニュースで全く違った印象を受けることもあります。中国語の新聞を読まない方にはあまり興味のない話かもしれませんが、もし日本語の記事で引用元が書かれていたら是非チェックしてみてください。ニュースの見方が少し変わるかもしれません。

1 .東方日報(http://orientaldaily.on.cc/

東方日報(オリエンタルデイリー)は馬惜如、馬惜珍兄弟によって 1969 年に創刊された。
有料新聞としては香港一の発行部数を誇る。( 2013 年発行部数: 50万部 /1 日)

政治思想は親中派、主なライバルは香港の民主化を進める「蘋果日報(アップルデイリー)」と言われる。

~創業者うんちく~
馬兄弟は元々、台湾国民党と良好な関係を持っており「右派(民主派)」と見なされていた。また香港が英国植民地時代は英国政府とも良好な関係を築いていた。
香港の中国返還以降、親中派に変更。現役員は中国政府組織の 1 つである中国人民政治協議会メンバーを務めた経歴を持つなど関係は深い。

因みに弟の馬惜珍はアヘンを大量に密輸入していたいことで禁固 30 年が言い渡されたが台湾へ逃亡したことで有名な人物。

東方日報

2 .蘋果日報(http://hk.apple.nextmedia.com/

蘋果日報(アップルデイリー)は黎智英(ジミー・ライ)氏によって 1995 年に創刊された。

販売当初は通常価格の半分以下の価格で販売したり、 1 面トップに大きな写真を掲載するなど今までの新聞にはない手法を用い、多くの購買者を獲得、東方日報に次ぐ 30 万の発行部数をを誇った。それにより、今まであった新聞数社が廃刊に追い込まれた。

政治思想は民主派で、香港普通選挙を支持、その一方で香港政府や中国共産党の態度を一貫して非難している。発行部数が非常に減少( 15 万部/1 日)している理由に、広告スポンサーの減少が影響あるのではないかと言われている。蘋果日報に広告を掲載する企業は反共産党思想であると見なされる可能性があるので、それを恐れて掲載しないとのことである。

~創業者うんちく~

黎智英は広東省順徳出身、幼いころに家族と共に無一文で香港に渡った。教育は小学校までしか受けていないが、独学で英語、投資を勉強。 1981 年に香港のユニクロと呼ばれる「ジョルダーノ」を設立し財を成す。

アップルデイリー

香港の新聞社を比較!明報と星島日報(2/4)へ続く。

2016.07.25

香港の新聞社を比較!明報と星島日報(2/4)

3 .明報(http://www.mingpao.com/

明報(ミンパオ)は查良鏞氏と沈寶新氏の 2 名によって1959 年に創刊された。 香港人には信頼性の高い新聞との評価がある。香港の新聞は一般的にニュース以外に娯楽・ゴシップが多く目立つが、明報はニュース(香港ローカル、中国、国際)を中心とし、加え文学、文化、政治面についての専門コラムを扱っており、新聞媒体として「正統派」のイメージを持つ。記事に使われる用語も公平性を保っているため、学生に読ませる新聞としても有名。 2013 年の発行部数は 13万部 /1 日。 政治思想は保守主義。

明報の思想として、大中華民族としての意識、儒教思想、反戦そして保守主義を掲げている。一般的にはやや民主よりの中立派と考えられている。

~創業者うんちく~

查良鏞氏は中国浙江省出身。有名な中国歴史小説家でもあり、ペンネーム「金庸」として活躍した。彼の書いた小説はテレビドラマ、映画などにもなるほどの人気を博した。

明報

4 .星島日報(http://std.stheadline.com/

星島日報(シンタオデイリー)は華僑の富豪である胡文虎によって 1938 年に創刊された。
創刊当初は中国国民党(孫文が結党)と中華民国政府(台湾の前身)を支持、 1988 年から4 年間、台湾の年号である「民国」を新聞の日付に使うほどであった。またイギリスの香港統治時代は香港イギリス政府も同時に支持していた。しかし中国へ返還されて以降、親中派となった。

星島日報は広東語フリーペーパー「頭條日報(ヘッドラインデイリー)( 85 万部/1 日 /2015年)」と英語フリーペーパー「 The Standard 」(22 万部 /1 日/2013 年)を発行しており、広東語及び英語部門でそれぞれ発行部数が 1 位となっている。香港以外にもヨーロッパ、アメリカ、カナダでも発行している。

~創業者うんちく~

胡文虎は 1882 年にミャンマーで生まれる。タイガーバームの創設者。

星島デイリー

香港の新聞社を比較!明報と星島日報(3/4)へ続く。

2016.07.25

香港の新聞社を比較!成報と香港経済日報(3/4)

5.成報(http://www.singpao.com.hk/

成報(シンパオ)は 1939年にわずか24 歳の何文法を中心に計 6名によって創刊された。

当初はニュースだけでなく文化や娯楽面を充実した内容となっており、創刊後わずか半年で香港一の発行部数を誇る新聞となった。第二次世界大戦中は発行を中止していたが、戦後すぐに復活。その後も香港 1.2位を争う発行部数を保っていたが、新聞市場の激変、創設者の何文法の逝去などにより発行部数は激減し、 2015年8月6日には一時停刊するなど騒ぎが起きた。しかし停刊20日後には復活、現在も新聞を発行している。

成報は創刊当初は思想的には中立を保っていたが、現在では親中派と言われる。

~創業者うんちく~
何文法は香港新聞業界の発展を語るに外せない人物として有名。また競馬が好きで、一時は 20頭以上の競走馬を保有する馬主だった。

親中派新聞

6.香港経済日報(http://www.hket.com/eti/

香港経済日報(香港エコノミックタイムズ)は 1988年に馮紹波氏らによって創刊された新しい新聞。
主に香港経済を取り扱っており、その記事の切り口は専門的との評価がある。金融以外にも中国及び国際時事ネタ、社会、ビジネス、不動産やライフスタイルなど幅広い情報を取り扱っている。

97年のアジア金融危機の時は政府に市場介入を行うよう求めたり、 2006年に香港政府が消費税導入に関して言及した際、激しい反対表明を行ったりしている。思想としては穏健民主派。

香港経済新聞

香港の新聞社を比較!文匯報、大公報と大紀元時報(4/4)へ続く。

2016.07.25

香港の新聞社を比較!文匯報、大公報と大紀元時報(4/4)

7.文匯報(http://www.wenweipo.com/

文匯報 (ウェンフイポー)は 1948年に創刊された。

前身は 1939 年に上海で創刊された文匯報。第二次世界大戦(抗日戦争)後、中国国民党に強く不満を抱いた上海文匯報は中国共産党を支持したため、中国国民党の圧力により 1947 年に停刊となった。上海文匯報 の有名記者であった徐鑄成を始めとした人達と香港にいた親共産党の人物を中心に香港文匯報創刊された。

現在、香港文匯報は中国共産党宣伝部と密接な関係があると言われ、中国国内で流す香港関連するニュースは主に「文匯報」から引用されている。記事内容は親中派の色が濃いため、香港では信頼度が低いメディアと評価されいてる。香港文匯報は香港以外にも、中国・東南アジア各地でも発行されており、全体を合わせると一日の数量は 40 万部と言われている。

~創業者うんちく~

徐鑄成は他人の履歴を使って清華大学(日本でいう東京大学にあたる)に入学したがすぐにバレてしまい、その後北京師範大学へ入学した。卒業後しばらくして政治記者となり、頭角を現す。

共産党と密接な関係

8.大公報(http://www.takungpao.com.hk/

大公報( Ta Kung Pao )は1949 年に中国政府によって創刊された。

前身は 1902 年に天津で発行された「大公報」となり中国で最も歴史ある新聞メディアである。中国共産党寄りである、ニュース内容が政治色が濃いとの理由で、香港では文匯報と同様に信頼度が低いメディアとなっている。

香港人に信頼度が低い

9.大紀元時報(http://www.epochtimes.com/b5/

大紀元時報(ザ・エポックタイムズ)は 2000 年にニューヨークにて法輪功メンバーに創刊された。

新聞は、アメリカ、香港、日本、台湾、カナダ、オーストラリア、ヨーロッパなど 30 を超える国と地域で発行されており、全世界における発行部数は 130 万部/1 週間と言われる( 2012 年大紀元発表)。

思想としては「 Universal Values (多くの人が持つ価値観、普遍的な価値観)」をあげている。

記事は、中国大陸の弱者層の立場に立ち内容が中心となり、家を強制撤去された人、キリスト教や法輪功などの宗教的理由で弱い立場にある人達の人権問題を取り上げている。国境なき記者団の発表によると、大紀元のウェブサイトは中国では政府の規制により閲覧不可となっている。

法輪功の新聞

2015.07.25

香港BSの木谷がPPWのインタビューを受けました!

当社スタッフの木谷が香港の有名情報誌「PPW(ポケットページウィークリー)」に掲載されました。

リンクこちら香港BSの木谷PPWインタビュー

PPW(ポケットページウィークリー)は香港のビジネス、生活、文化に密着した情報を提供する日本人向け有名メディアです。
香港で活躍する日本人女性と言うことで、当社木谷がインタビューを受けました。

元々、中国上海で留学をしていた木谷がなぜ香港にきたのか、実際香港で働いてみてどうなのか等を語っています。
香港が日本人にとって、そして女性にとってどんな環境なのかが少し垣間見えるかもしれません!