2019.03.15

芥川龍之介「二人小町」が映画化、香港で撮影!曽根監督インタビュー

曽根監督 和泉素行

芥川龍之介原作「二人小町」が日本・香港合作で映画化されることが決定し、3月3日から14日まで香港で撮影が行われました。監督は「カメラを止めるな」の撮影担当だった曽根剛、黄泉(よみ)の使いを演じる主演男優は香港で活躍する日本人タレントの和泉素行(SOKO)。全編が香港で撮影され、言語は広東語という異色の日本映画、2020年に日本で公開される予定となっており大注目です。

芥川龍之介の小説「二人小町」の原作では、小野小町の元に黄泉の使いが現れ地獄に連れていく予定であったが小町は拒否。代わりに玉造小町を連れ去ろうとするも、小野小町を連れて行くべきと泣きじゃくり、その姿に心揺れ恋愛感情を抱く。黄泉の使いは二人の小町のいずれも連れ去ることができず30年後に変わり果てた二人の小町に再会。二人の小町はあの世に連れて行ってほしいと頼むが黄泉の使いは拒否し消え去っていくというあらすじ。今回の映画「二人小町」は原作を元とした現代版の「二人小町」になっているのだとか。

映画「二人小町」には、監督の曽根剛、香港の日本人タレント和泉素行(SOKO)のほか、小町役は香港女優の陳漢娜(Hanna)、マカオ出身女優の劉漪琳(Eliz Lao)が演じており、作品演出は「カメラを止めるな!」で主演男優を務めた濱津隆之がおこないました。

香港メディアは香港での撮影中に「13年間香港で生活する、広東語が流ちょうな日本人タレント和泉素行(SOKO)が主役に抜擢!」と大々的に取り上げ、和泉素行氏は取材に対して「この映画を通して香港や広東語を知ってもらいたい」、監督の濱津氏は「海外では初撮影なので緊張しているが楽しみ」とコメントをしました。

今回、撮影終了後の曽根監督と和泉素行さんにインタビューができました。撮影終了後でお疲れだったと思いますが快くお話を聞かせてくださいましたので皆様にご案内します。

(香港BS) 古典的な小説がベースとなっていますが、どうして香港を選ばれたのですか?

(曽根監督) 日本の古いお話がベースなので、日本で撮るとかえって違和感がある気がしました。またこのストーリー自体、30年くらい時の流れがあるので変化があります。そこで、香港を思い出しました。5年前に来たことがあったのですが、昨年香港に来た時に、街の変化が激しく、古いものと新しいものが混在している様子がこの話に合うなと思いました。それに本当に変化が激しいので今撮らないと、また5年後とか言ったらすっかり街が変わって、撮りたいと思う景色がなくなってしまうと思いました。今回の映画で今の香港を撮っておきたいと思います。

(香港BS) 全体的に撮影はいかがでしたか?

(曽根監督) 香港の深水埗(サムスイポー)、荃湾(ツェンワン)、尖沙咀(チムサーチョイ)のプロムナードなど、いろんなところで撮影しました!事前の下見で撮りたい場所がいくつか見つかり、撮る場所を先に決めてシーンを決めたりしました。撮れなかった場所も多いですが。。。

行く先々でメディア取材があり反響の大きさに驚き本当にうれしかったです。プロムナードの撮影でお金をばらまくシーンがあったのですが、取材に来ていた記者の人が一緒に拾ってくれました(笑)

(香港BS) 昨年末にオーディションをされたんですよね。

(曽根監督) そうです。昨年12月です。 知り合いに声をかけただけのオーディションだったので、30人来るかな?と思っていたんですが、実際には400人も来てくれました。とても感謝しています。オーディションに来てくれた人たちの中には日本語ができる人が多くびっくりしました。こっちは広東語全然喋れないのに、すごいなと感心しました。

(香港BS) 日本人役者へのオファーを考えていたのですか?なぜ和泉さんを選んだのでしょう?

(曽根監督) 日本人を入れるとしたら、唯一死神役だと考えていました。死神役は、どこから来たのかわからない方が良かったので、外国人の広東語がイメージに合うかなと。

オーディション前、日本語ができる役者はいないかとネットで調べると和泉さんが一番に出てきたんです。ヘアスタイルや見た目の雰囲気が死神役に合ってると思いました。オーディションで素行くんをみて、実際の演技でも良いなと思ったんです。

あと、香港人の男性はほとんどが、髪が短くメガネをかけていたので、死神のイメージとは違いました。

(和泉さん) ネットで知ってくれたんですか!?ネット時代に感謝ですね!(笑)

(香港BS) ところで今回撮影でお忙しかったと思いますが、香港の食事は楽しまれましたか?

(曽根監督) 今回は時間がなかったですが、下見で香港に来た時に楽しみました。

(和泉さん) 撮影がローカルの麵屋や茶餐廳(香港の大衆食堂)であったので、そういうディープご飯は体験してもらえましたよね。

(香港BS) 和泉さん、今回映画に出られていかがでしたか?

(和泉さん) 撮影はめちゃくちゃ楽しかった!!の一言です! あと、本当にご縁だなと思ってます。5年前の自分だったら広東語がここまでできてなかったのでこの役は無理だったと思います。本当にこのタイミングだから、抜擢されたと思ってます。

(曽根監督) なるほど。

(香港BS) 香港で撮影、全編広東語ですけど、映画は日本でのみ上映されるんですよね?

(曽根監督) そうです。日本で企画された映画なので、まずは日本での公開予定です。もちろんオファーがあれば香港でも上映できます。今回の撮影中、行く先々でメディア取材を受け、驚くほど反応が良くて嬉しかったです。

(和泉さん) すでに多くの香港メディアが興味持ってたみたいですけどね。

(香港BS) 香港での撮影おつかれさまでした。

現在のところ上映は日本のみとなっていますが、香港メディアの反応を見ると香港でも上映される可能性もありそうです。

2017.07.14

マウント・デイビス砲台・堅尼地城(ケネディタウン)の西南

第二次世界大戦

摩星嶺砲台(マウント・デイビス砲台 / Mount Davis Battery)は香港島の最西端に位置する小高い山にある砲台跡地です。1911年にイギリス軍により建築され、第二次世界大戦では重要な軍事拠点でした。1941年に日本軍が香港へ上陸した際に激しい戦いが行われた場所の1つとしても有名です。

マウント・デイビス砲台の登り口は香港島の西の街ケネディタウンを少し過ぎたところにあります。行き方をいくつかご紹介します。

登山口に近いバス停までの行き方。
・ シティバス1番「摩星嶺」行きで「摩星嶺徑」バス停下車
・ シティバス971番で「摩星嶺徑」バス停下車

ケネディタウンまでバスで行き、登山口まで歩く行き方。
・カオルーン&NWFBバスの110番や104番、またはシティバス5B、5X、10の堅尼地城(ケネディタウン)行きに乗り、終点「堅尼地城」で下車。
・域多利道(ビクトリア・ロード)を、山に向かって10分ほど歩くと登り口となる道(摩星嶺徑)に到着。

マウントデイビス砲台入り口

域多利道(ビクトリア・ロード)を進んでいくと山側に伸びる「摩星嶺徑(Mount Davis Path/マウント・デイビス・パス)」があり、頂上まで徒歩約40分程度で到着、綺麗に整備されている道なので歩きやすいです。

道中は廃墟となった砲台跡地や基地と思われる建物が点在しており、また屋根の抜けた男性公衆トイレも存在感があります。どの建物もかなり荒廃しており、大きな木に鬱蒼(うっそう)と覆われている姿は時間の経過を物語っています。時折、山の中に続く細道なども見つけられますが、多くの遺跡はメインの道沿いにありましたので、あえて危険そうな細道に入る必要はないかと思います。砲台跡地はかなり崩れていますが、日本軍の激しい攻撃により破壊された後がそのまま残っているそうです。

トイレ

道なりに突き進んでいくとユースホステル「Ma Hui Hall(馬會堂)」が左手に見えてきます。ここには道中で最も大きな砲台跡地がみられますが、最終目的地はホステルの右側にある坂を更に上ったところにあります。この坂は大砲を運ぶ際に使われたとされていますが、かなりの急こう配で本当に大砲を運べたのかと不思議に思うほどです。登りきるとキャンプ場のような広場があり、更に進むと要塞跡地現れます。

要塞跡地は完全な廃墟であり、司令部とも兵士の居住区とも言われる場所や、弾薬庫のようなところ、防空通路と思われる道などが残っています。第2級歴史建築に指定されている割には説明や案内が全くないため、具体的にどうやって使用されていたのかは想像を膨らませるしかありません。コンクリートの箱のような形で残された要塞跡地はうっそうとした木々の中、シンとした空間の中で香港とは思えない雰囲気を醸し出しています。

イギリス軍が日本軍に降参した1941年12月25日は「ブラック・クリスマス」と呼ばれており、この日からマウント・デイビス砲台は放置されたと伝えられています。一部エリアは「前面危険 ・請勿進入(この先危険・立入禁止)」と書かれていますのでそういった場所には念のため、近づかないほうがいいでしょう。

廃墟

実はこのマウント・デイビス砲台エリアは、日本軍が攻めて多くのイギリス兵が戦死した場所であり、1945年には敗戦を知った日本兵が集団自殺をした場所だとも言われています。そして現在ではこのような背景があることからも、幽霊スポットとして非常に有名な場所になっています。有名な心霊話を挙げてみましたのでご覧ください。

・ タクシー運転手がマウント・デイビス・パスをタクシーで下っていると中年男性を発見。乗車させ、行先を聞いても答えない。マウント・デイビス・パスをおりきったところで行先を再度尋ねようとバックミラーを見ると半透明になった姿があり、驚きながらもそのまま運転を続けると姿が消えた。

・ 夕方からサバイバルゲームを開始、暗くなってきたので暗視スコープをかけてあたりを見ると大勢の人が湧き出るように近づいてきた。驚いて暗視スコープを外すと姿が見えない。また改めてかけてみると、日本の軍服を着た軍人がいた。

また以前、このエリアには「白屋(「白い家」の意味)」と呼ばれる施設があり、こちらも有名な幽霊スポットでした。白屋は第二次世界大戦中は軍事拠点として、戦後は政治犯収容所として使用されました。収容所時代は多くの拷問が行われたと言います。1995年以降は使用されなくなりましたが、その後2013年にシカゴ大学系のビジネススクールが建てられることが決定し現在、校舎建設中です。学校ができた後は新たな幽霊スポットになるかもしれないと噂されています。

香港とは思えない風景が残るマウント・デイビス砲台に一度は行ってみてはいかがでしょうか。

≪マウント・デイビス砲台の場所≫
登山口に近いバス停までの行き方。
・ シティバス1番「摩星嶺」行きで「摩星嶺徑」バス停下車
・ シティバス971番で「摩星嶺徑」バス停下車

ケネディタウンでバスで行き、登山口まで歩く行き方。
・カオルーン&NWFBバス共同運営の110、104やシティバス5B、5X、10で堅尼地城(ケネディタウン)行きで、終点「堅尼地城」で下車。
・域多利道(ビクトリア・ロード)を、山に向かって10分ほど歩くと登り口となる道(摩星嶺徑)に到着。

場所:摩星嶺砲台(マウント・デイビス砲台/Mount Davis Battery)
地図:https://goo.gl/maps/iGEc8FGKeeB2

香港BS K.Kより

2017.07.07

大澳(タイオー/Tai O)ピンクイルカ・棚屋

ピンクイルカ

香港最大の島ランタウ島に位置する大澳(タイオー/Tai O)は絶滅危惧種に指定されている「ピンクイルカ」や「棚屋(写真左上)」という特殊な水上建築を見学できる有名な観光スポットです。大澳は昔から漁村として有名で、独特の街並みや生活スタイルが香港人・外国人を問わず多くの人々を引き付けています。

大澳への主な行き方を2つをご紹介します。
・中環(セントラル)フェリー乗り場から、梅窩(ムイオー)行きに乗り、1時間(スピード船なら30分)、梅窩到着後はフェリー乗り場前にあるバスターミナル から大澳行きの1番バスに乗り更に約1時間です。

・東涌(トンチョン)駅からは、徒歩5分くらいの位置にある昂坪バスターミナル(360のケーブルカー乗り場の横)から11番バスに乗り、大よそ1時間。

大澳に到着するとすぐにピンクイルカウォッチングの案内があります。チケットは20~30香港ドル(約300~450円)でツアー時間は約20分ほど。ボートに乗って沖でのイルカウォッチングと「棚屋」を海から眺められるという大澳ならではの内容となっていますので、是非試してみてください。日時によっては無料ガイドがボートに乗り、ピンクイルカのことや大澳の歴史について広東語で案内をしてくれます。

ボート

ツアーの順路ですが、まずは大澳の家並に面する海を進んでいき、すぐに「棚屋」と呼ばれる高床式で作られた建物が見えてきます。部屋が水辺に付きだした状態で、部屋の床の下はすぐ海となっています。また海に面したベランダからすぐにボートに乗れるような作りにもなっており、生活と海が非常に密着している様子が感じられます。

棚屋を通貨すると後は沖へ向かい、ピンクイルカを探しに行きます。私が訪れた時はとてもラッキーですぐにピンクイルカの親子の姿が見えました。現在、ピンクイルカは絶滅危惧種となっており、ピンクイルカの姿が見られることは少ないのだとか。ピンクイルカが見られた時にはガイドさんも興奮気味に「皆さんは本当にラッキーですよ」と語っていました。ガイドさんによるとピンクイルカは子供の頃は色が灰色で大人になるにつれ色が抜けてピンクに変わり、またママイルカは3年間付きっ切りで子育てをするのだとか。

タイオ―散歩

大澳は海の上だけでなく、街中の散歩にもお勧めです。

大澳は海と生活している街だけあって、小さな通りには海鮮の干物がずらっと並んでいます。値段や品質にうるさい香港人の多くが大澳で買い物する姿を見て、大澳の海鮮干物は安くて品質が良いのだろうと感じました。その他にも店先ではイカやホタテを焼いた香ばしいにおいが漂っていたり、地元レストランが所狭しと並んでおり、食べるものにも困りません。山と海に挟まれた大澳は大都会香港とは思えないほどゆったりとした時間が流れていてそこにいるだけで気持ちがのんびりします。

干物

その他大澳で目立つ建物には、100年以上もある元警察署を改築して作られたホテル「大澳文物酒店/Old Tai O Police Station」があります。海辺の小高い丘に建てられた西洋風の建物は香港の歴史を感じさせ、ひときわ目を引きます。宿泊客でなくてもレストランで食事やお茶ができますので行ってみてはいかがでしょうか。

≪大澳の場所≫
・中環(セントラル)から行く場合。
 中環(セントラル)フェリー乗り場6番から梅窩(ムイオー)へ。高速船は30分、普通船は1時間。
その後、梅窩(ムイオー)フェリー乗り場前にあるバスターミナルで大澳行きの1番バスに乗車。約1時間で到着。

・東涌(トンチョン)から行く場合。
東涌(トンチョン)のMTR駅から徒歩5分くらいにあるバスターミナル(昂坪(ゴンピン)360のケーブルカー乗り場横)から11番バスに乗車。約1時間。

場所:大澳(タイオー/Tai O)

地図:https://goo.gl/maps/y4oN5W4nFUJ2

香港BS K.Kより

2017.03.16

世界の奇祭「長洲島の饅頭祭り」

香港 長洲島で毎年5月におこなわれる不思議なお祭りといえば「饅頭祭り」と「飄色(ピウセッ)パレード」。

そのお祭りは同時期におこなわれ実にヘンテコであり、2014年度の米国タイム誌でも「世界の奇祭10選」に選ばれて、今では香港生活者だけでなく海外からの観光客も押し寄せるほどの有名なお祭りとなりました。

お祭りの起源となったのは長洲島で疫病が発生した清王朝の時代。島民が疫病が収まることを願い、北帝という神様にお願いをしながら街を練り歩き、そのおこないの後、疫病は瞬く間に収まったことから、神様への感謝の気持ちをこめて饅頭を奉納したことから饅頭祭りの始まり。飄色(ピウセッ)パレードは、その時に街を練り歩いたところから始まっています。なお、長洲島の饅頭祭りの正式名称は「長洲太平清醮(長洲の太平を願う祭事 )」であり、2009年から香港の無形文化遺産となった伝統あるお祭りです。

このお祭りが開催されるのは、毎年旧暦4月8日、仏陀の誕生日となっており、新暦で計算をすると毎年5月頃となります。それぞれのお祭りの特徴を紹介しましょう。

饅頭祭り

昔は神様に奉納してた饅頭塔(包山) ですが、現在では饅頭取りレースへと変貌しています。ルールは簡単で、9,000個のプラスチック製饅頭が張り付けられた高さ14メートルもの饅頭塔によじ登り、得点の高い饅頭を幾つ取れるか争います。高い所にある饅頭ほど点数が高いため、参加者は開始と同時に一気に上を目指して登っていきます。レースは厳しい予選を通過したツワモノ達により、3分間の白熱した試合が繰り広げられます。開始時間は毎年、午後11時30分からです。

長洲名物

饅頭取りレースでは偽物饅頭が使われますが、本物の饅頭も付近で購入できます。赤文字で「平安」とかかれた縁起のよい饅頭は「平安包(ペンオンパウ)」と呼ばれ長洲島の名物となっています。餡は「胡麻・蓮の実・あずき」の3種類があるので是非試してみてください。

飄色(ピウセッ)パレード

神様や歴史上の有名人に扮した5~6歳の子供達が、高い位置で持ち上げられて宙を漂うという不思議なパレード。最近では話題のタレントや有名人に扮した子供たちも少なくないようです。こちらは同日の午後2時から午後4時まで開催されます。

≪饅頭祭りの詳細≫
日にち:毎年5月頃(旧暦4月8日)
場所:長洲島
行き方:香港中環フェリー乗り場5番(Pier5)より船
フェリー時刻:約30分毎に出航(時刻表
2017.01.23

香港の風習、フラワーマーケットを楽しもう!

花市 年末

香港では、縁起の良い言葉である「花開富貴(花が開くように富に満ち溢れる様子)」にちなんで、新年(旧正月)を迎える前に花を購入する風習があります。毎年旧暦12月25日から大規模な「年宵花市(旧暦フラワーマーケット)」が特設会場にて開催されます。

それぞれの花は香港らしさ溢れる意味を持っています。そこで、香港の人々が旧正月に購入しているメジャーの花や植物の一部を以下に紹介してみたいと思います。是非、皆様も花束を購入してお部屋に飾ってみてください。

1.キンカン(金桔・金柑)
黄金色のキンカンは富をもたらすと考えられており、広東語で金柑はガムカッ、「吉(ガッ)」と欲にていて縁起が良いとされれている。

2.紅桃(赤い桃の花)
紅桃は広東語でホントウ、ビジネスが上手くいくことを表す鴻圖(ホントウ)と発音が似ており、人や財産との縁をつなぐと考えられている。

3.水仙
水仙の香りは、新しい一年の幸運、チャンス、お金をもたらしてくれると考えられている。

4.ツノナス
5つの角のような不思議な形が、五代同堂(家族5世代が一緒に顔を合わすくらい長生き)を表していると考えられている。

なお、香港最大のフラワーマーケットは銅鑼湾(コーズウェイベイ)のビクトリア公園です。花屋だけでなく日本のお祭りのように、イカ焼き、サイコロ牛肉ステーキ、魚蛋(魚つみれボール)、燒賣(シューマイ)などの飲食店、干支の飾り物などを販売している雑貨店などがお店を構えています。

フラワーマーケットは平日の夜遅くまで開かれていますので、是非香港の風習をお楽しみください。

2017.01.20

安くて美味しい人気中華「北方餃子源」湾仔(ワンチャイ)

おいしい餃子

餃子は中国北方で良く食べられている料理です。香港には北方から移り住んだ中国人によって開かれた餃子店が数多く存在しており、美味しい餃子が楽しめるエリアとしても知られています。そんな中、香港内で安くて美味しい!として評判の「北方餃子源」を今回はご紹介します!

「北方餃子源」は湾仔駅A3出口から徒歩7~8分くらいの場所にあり、当社ブログで以前に紹介したカフェ「OVO Cafe(http://hklife.jp/western/ovo-cafe/)」)の近くです。

店内のメニューには12種類ほどの餃子があり、水餃子か焼き餃子から調理方法が選択できます。また、一般的な餃子店は1人前10個入りと決まっていますが、このお店では5個入りに設定できることも魅力の一つ。今回、私は「豚肉とセロリ」と「エビと豚肉」の水餃子を試してみました。

食べてみた感想ですが「美味しい!」の一言。食レポ素人ですが頑張って言葉を選択するなら、分厚い餃子の皮は弾力があって食感抜群!「豚肉とセロリ」の餃子はセロリ風味がバッチリ効いていてグッド!「エビと豚肉」の餃子は、まろやかでありながらも、エビのプリプリ食感がたまりません!

きくらげ キュウリ

この美味しさに感動をしてしまい、小吃(シャオチ―)と呼ばれるおつまみ一品料理、「四川風ピリ辛キュウリ、黒きくらげの酢の物、豚肉のニンニクソース」も3品追加オーダー!これまた絶品!

さらに調子にのり、担々麺までをも追加オーダー!担々麺スープは香港特有のピーナッツベースで、中辛でも甘みが強い味をだしています。しかし、個人的にはこれはオーダーしなくて良かったな~と。。。

気になるお値段ですが、食べ残してしまうくらいのボリュームで、一人当たり140香港ドル(ノンアルコール飲料含む)。香港ではお手頃価格と言えるのではないでしょうか。

私がお店を訪れた18時30分頃は座席に余裕もありましたが、30分程が経過した後は満席となっていましたので、もしご興味があればお早目に訪れてください。

≪ 北方餃子源の場所と情報 ≫
住所(中国語):灣仔皇后大道東259號地下
住所(英語):G/F, No. 259, Queen’s Road East,, Wan Chai
OPEN RICE:http://www.openrice.com/en/hongkong/r-%E5%8C%97%E6%96%B9%E9%A4%83%E5%AD%90%E6%BA%90-wan-chai-shandong-wonton-dumpling-r15350

香港BS K.Kより

2016.07.25

香港の新聞社を比較!東方日報と蘋果日報(1/4)

香港には日本と同様、いくつかの新聞社が存在します。新聞社によってそれぞれ思想が違っているため、同じニュースで全く違った印象を受けることもあります。中国語の新聞を読まない方にはあまり興味のない話かもしれませんが、もし日本語の記事で引用元が書かれていたら是非チェックしてみてください。ニュースの見方が少し変わるかもしれません。

1 .東方日報(http://orientaldaily.on.cc/

東方日報(オリエンタルデイリー)は馬惜如、馬惜珍兄弟によって 1969 年に創刊された。
有料新聞としては香港一の発行部数を誇る。( 2013 年発行部数: 50万部 /1 日)

政治思想は親中派、主なライバルは香港の民主化を進める「蘋果日報(アップルデイリー)」と言われる。

~創業者うんちく~
馬兄弟は元々、台湾国民党と良好な関係を持っており「右派(民主派)」と見なされていた。また香港が英国植民地時代は英国政府とも良好な関係を築いていた。
香港の中国返還以降、親中派に変更。現役員は中国政府組織の 1 つである中国人民政治協議会メンバーを務めた経歴を持つなど関係は深い。

因みに弟の馬惜珍はアヘンを大量に密輸入していたいことで禁固 30 年が言い渡されたが台湾へ逃亡したことで有名な人物。

東方日報

2 .蘋果日報(http://hk.apple.nextmedia.com/

蘋果日報(アップルデイリー)は黎智英(ジミー・ライ)氏によって 1995 年に創刊された。

販売当初は通常価格の半分以下の価格で販売したり、 1 面トップに大きな写真を掲載するなど今までの新聞にはない手法を用い、多くの購買者を獲得、東方日報に次ぐ 30 万の発行部数をを誇った。それにより、今まであった新聞数社が廃刊に追い込まれた。

政治思想は民主派で、香港普通選挙を支持、その一方で香港政府や中国共産党の態度を一貫して非難している。発行部数が非常に減少( 15 万部/1 日)している理由に、広告スポンサーの減少が影響あるのではないかと言われている。蘋果日報に広告を掲載する企業は反共産党思想であると見なされる可能性があるので、それを恐れて掲載しないとのことである。

~創業者うんちく~

黎智英は広東省順徳出身、幼いころに家族と共に無一文で香港に渡った。教育は小学校までしか受けていないが、独学で英語、投資を勉強。 1981 年に香港のユニクロと呼ばれる「ジョルダーノ」を設立し財を成す。

アップルデイリー

香港の新聞社を比較!明報と星島日報(2/4)へ続く。

2016.07.25

香港の新聞社を比較!明報と星島日報(2/4)

3 .明報(http://www.mingpao.com/

明報(ミンパオ)は查良鏞氏と沈寶新氏の 2 名によって1959 年に創刊された。 香港人には信頼性の高い新聞との評価がある。香港の新聞は一般的にニュース以外に娯楽・ゴシップが多く目立つが、明報はニュース(香港ローカル、中国、国際)を中心とし、加え文学、文化、政治面についての専門コラムを扱っており、新聞媒体として「正統派」のイメージを持つ。記事に使われる用語も公平性を保っているため、学生に読ませる新聞としても有名。 2013 年の発行部数は 13万部 /1 日。 政治思想は保守主義。

明報の思想として、大中華民族としての意識、儒教思想、反戦そして保守主義を掲げている。一般的にはやや民主よりの中立派と考えられている。

~創業者うんちく~

查良鏞氏は中国浙江省出身。有名な中国歴史小説家でもあり、ペンネーム「金庸」として活躍した。彼の書いた小説はテレビドラマ、映画などにもなるほどの人気を博した。

明報

4 .星島日報(http://std.stheadline.com/

星島日報(シンタオデイリー)は華僑の富豪である胡文虎によって 1938 年に創刊された。
創刊当初は中国国民党(孫文が結党)と中華民国政府(台湾の前身)を支持、 1988 年から4 年間、台湾の年号である「民国」を新聞の日付に使うほどであった。またイギリスの香港統治時代は香港イギリス政府も同時に支持していた。しかし中国へ返還されて以降、親中派となった。

星島日報は広東語フリーペーパー「頭條日報(ヘッドラインデイリー)( 85 万部/1 日 /2015年)」と英語フリーペーパー「 The Standard 」(22 万部 /1 日/2013 年)を発行しており、広東語及び英語部門でそれぞれ発行部数が 1 位となっている。香港以外にもヨーロッパ、アメリカ、カナダでも発行している。

~創業者うんちく~

胡文虎は 1882 年にミャンマーで生まれる。タイガーバームの創設者。

星島デイリー

香港の新聞社を比較!明報と星島日報(3/4)へ続く。

2016.07.25

香港の新聞社を比較!成報と香港経済日報(3/4)

5.成報(http://www.singpao.com.hk/

成報(シンパオ)は 1939年にわずか24 歳の何文法を中心に計 6名によって創刊された。

当初はニュースだけでなく文化や娯楽面を充実した内容となっており、創刊後わずか半年で香港一の発行部数を誇る新聞となった。第二次世界大戦中は発行を中止していたが、戦後すぐに復活。その後も香港 1.2位を争う発行部数を保っていたが、新聞市場の激変、創設者の何文法の逝去などにより発行部数は激減し、 2015年8月6日には一時停刊するなど騒ぎが起きた。しかし停刊20日後には復活、現在も新聞を発行している。

成報は創刊当初は思想的には中立を保っていたが、現在では親中派と言われる。

~創業者うんちく~
何文法は香港新聞業界の発展を語るに外せない人物として有名。また競馬が好きで、一時は 20頭以上の競走馬を保有する馬主だった。

親中派新聞

6.香港経済日報(http://www.hket.com/eti/

香港経済日報(香港エコノミックタイムズ)は 1988年に馮紹波氏らによって創刊された新しい新聞。
主に香港経済を取り扱っており、その記事の切り口は専門的との評価がある。金融以外にも中国及び国際時事ネタ、社会、ビジネス、不動産やライフスタイルなど幅広い情報を取り扱っている。

97年のアジア金融危機の時は政府に市場介入を行うよう求めたり、 2006年に香港政府が消費税導入に関して言及した際、激しい反対表明を行ったりしている。思想としては穏健民主派。

香港経済新聞

香港の新聞社を比較!文匯報、大公報と大紀元時報(4/4)へ続く。

2016.07.25

香港の新聞社を比較!文匯報、大公報と大紀元時報(4/4)

7.文匯報(http://www.wenweipo.com/

文匯報 (ウェンフイポー)は 1948年に創刊された。

前身は 1939 年に上海で創刊された文匯報。第二次世界大戦(抗日戦争)後、中国国民党に強く不満を抱いた上海文匯報は中国共産党を支持したため、中国国民党の圧力により 1947 年に停刊となった。上海文匯報 の有名記者であった徐鑄成を始めとした人達と香港にいた親共産党の人物を中心に香港文匯報創刊された。

現在、香港文匯報は中国共産党宣伝部と密接な関係があると言われ、中国国内で流す香港関連するニュースは主に「文匯報」から引用されている。記事内容は親中派の色が濃いため、香港では信頼度が低いメディアと評価されいてる。香港文匯報は香港以外にも、中国・東南アジア各地でも発行されており、全体を合わせると一日の数量は 40 万部と言われている。

~創業者うんちく~

徐鑄成は他人の履歴を使って清華大学(日本でいう東京大学にあたる)に入学したがすぐにバレてしまい、その後北京師範大学へ入学した。卒業後しばらくして政治記者となり、頭角を現す。

共産党と密接な関係

8.大公報(http://www.takungpao.com.hk/

大公報( Ta Kung Pao )は1949 年に中国政府によって創刊された。

前身は 1902 年に天津で発行された「大公報」となり中国で最も歴史ある新聞メディアである。中国共産党寄りである、ニュース内容が政治色が濃いとの理由で、香港では文匯報と同様に信頼度が低いメディアとなっている。

香港人に信頼度が低い

9.大紀元時報(http://www.epochtimes.com/b5/

大紀元時報(ザ・エポックタイムズ)は 2000 年にニューヨークにて法輪功メンバーに創刊された。

新聞は、アメリカ、香港、日本、台湾、カナダ、オーストラリア、ヨーロッパなど 30 を超える国と地域で発行されており、全世界における発行部数は 130 万部/1 週間と言われる( 2012 年大紀元発表)。

思想としては「 Universal Values (多くの人が持つ価値観、普遍的な価値観)」をあげている。

記事は、中国大陸の弱者層の立場に立ち内容が中心となり、家を強制撤去された人、キリスト教や法輪功などの宗教的理由で弱い立場にある人達の人権問題を取り上げている。国境なき記者団の発表によると、大紀元のウェブサイトは中国では政府の規制により閲覧不可となっている。

法輪功の新聞

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